式内 小槻大社
Contents
概 要
社 号 小槻大社
読 み おつきじんじゃ
別 名 小杖社
式内社 近江国栗太郡 小槻神社
所在地 滋賀県栗東市下戸山1200
御祭神 主祭神
落別命 滋賀県神社庁
御神紋 下り藤 真向の兎
例祭日 5月 5日 花傘踊り
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座 大2座 小6座
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 一間社流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
八坂社 日吉社 稲荷社(滋賀県神社庁)
龍王社 小槻大社古墳上に鎮座
(境外)十二将神社
文化財
本殿 木造男神坐像 2躯 国指定重要文化財
小杖祭りの花傘踊 滋賀県無形民俗文化財
一口メモ
式内小槻神社の論社は2社あり。
小槻大社 於知別命 (配祀)大己貴命 滋賀県栗東市下戸山1200
小槻神社 於知別命 天児屋根命 滋賀県草津市青地町873
草津市青地町の小槻神社から約1.5km。どちらも古社で式内社となっているので、栗東市下戸山が上社で当社が下社のようにも考えられる。ナビの指示で反対側の狭い道から行ったが、境内から鳥居が見えた。南側に車で行ける参道があっって広い駐車スペースがあった。
歴史・由緒等
創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女(うねめ)*1を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。
*1釆女(うねめ) 采女(うねめ)とは、日本の朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの官職となった。
境内・社叢
北側一の鳥居 南側一の鳥居
二の鳥居 手水舎
拝殿 本殿
狛犬
本殿左境内社 日吉社(山王社) 本殿右境内社 八坂社(祇園社)
稲荷神社
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